いま愛を語ろう 

2021.1.1

 

 嵐。昨日2020.12.31 21年という長い歴史を一旦止めた。そんな嵐さんへ感じたことについて語るためにブログを開設しました。ブログタイトルは嵐さんの曲名や歌詞を拝借しております。

 

 「こう考えてたと思う」「きっとこんな気持ちで」そのような考察は私はしません。本人たちの言葉以外は憶測でしかない。それに感情は移り変わるものだから、何年後かは真実が変わるかもしれない。

 私の言葉に影響力がないことなどわかっている、ただ5人やファンの感情を少しでも邪魔するようなことはしたくないだけ。発信するのは配慮が必要、思うのは自由という考えなもので。

 

 なので、ただだらだらと嵐さんへの愛と自分の嵐さんを追った日々をちゃんと宝箱に収めるために話すだけ(いつもやん)(いやでも今回異様に長くなる)。

 

 

 

さて、ここからが長い長い独り言です。

 

 

 

初めての認識はStap and Go(嵐さん関係なくよく見ていたMステで何故、その時の嵐さんを覚えているのかは最大に謎)、

初めてのトキメキはHapiness(「なんて楽しそうな人達なんだろう!」という衝撃をうけた)。

 

 そんな感じで始まったオタク人生。中1から先輩の影響で5人の番組と相葉さん単独を追うところから少しずつ本格的に好きになり。担当が最初から相葉さんの理由は実ははっきり覚えていないの...たぶん人柄。

 中学生には何でも購入できたわけではなく。それでも日々暮らしの中に着実に嵐さんの存在が増えていきました。

 当時、ちょっとなんやかんやで不安定で笑うことも泣くこと(ヒステリックに泣いてるときはあった)もあまりせず、学校も行かず、将来も見えず絶望し追い込まれた言動をとり入院したりしていていて。そんな私の心が動く時が嵐さんで。家族にも相当心配をかけてまして。笑ってほしいと誕生日かな?もらった5×10のMV集が初めて手にした映像作品!(どんなまとめ)

 

 そのMV集を見たり、お年玉やお小遣いで買ったCD、雑誌、DVD。嵐さんの輝く姿にまた学生生活を送ることを夢見てなんとか高校進学を。

 

 嵐さんは闇の中の一筋の光でした。

 

 そして高校生に。...しかしまだ弱すぎた私は学校生活についていけず転校。そこで運命的な出会い(すぎて初日に握手を交わした)を。今でもお世話になっているあの子。オタク人生をさらに盛り上げてくれました。昨日もお世話になりました。ありがとう。これからも頼んだよ。

 なんだっけ。あ、そうそう高校時代。

 転入前も、後も。こんな私を優しく温かく受け入れてくれる子がいまして。本当に本当に恵まれていて。(最近直接連絡とれてないし99.9%見ていないと思いますが、一応。小学校時代仲良くしてくれた貴方にも重い私は一生一方的に感謝しています。)

 

 そんな素敵すぎる皆さんは、私のことを「優しい」と「頑張り屋」言ってくれることが多いんです。少しでもそんな風に見えるなら、それも嵐さんのおかげです。

 

 嵐さんを知れば知るほど。その人柄に、尊敬の意を抱きます。あれだけの地位にいて偉ぶらない。ひとりひとりがいい意味でとっている距離感。かける言葉。高い高い壁だけど、こんな人になりたい!と自然と憧れました。優しくて、芯のあって、思いやりが凄い人。まだまだまだ追いつけないけれど。それでも自分で変われたと自負できる部分もあります。人のことを考えられるようになりました。人の幸せを心から喜べるようになりました。そして、誰かと一緒に楽しむことを覚えました。だらだらしてることも多いけど。何か目標をもって動いたりしました。だから、そんな言葉をかけてもらえたのかなって。

 

 そして高校2年生の時、2012年。初めてライブに参戦させていただきました。Popcorn。両親と共に行ったライブ後にいった言葉は「人生で一番楽しかった」でした。数年前まであんなに人生に絶望していたのに(笑)

 挨拶もMCも歌も踊りも。今まで映像で見ていた現実がそこにあって。そのあまりの魅力に憑りつかれて翌年からも毎年ライブに応募するようになります。(バイトもしていなかったのに行かせてくれてありがとう)。 

 翌年のLOVEは例の子と(当ててくれた)。

 

 嵐さんは人としての成長、たくさんの笑顔をくれ人生を豊かにしてくれました。

 

 そして専門学生になり。あ、そこで出会った友人もまた素敵な子たちです。いつもいつもたくさん笑ってくれてありがとね。2015年Japonismに参戦させてもらったりもしました。

そうして運よく嵐さんがいる時代に生まれたおかげで、また応援できる環境に身をおけて、社会人になれた私は、お金が自由に使えるようになり、無事嵐さんグッズが増え(笑)

 社会人になってからも相変わらず、自分の不甲斐なさに憤りばかりで。そんな時、やっぱり心を変えてくれるのが嵐さんで。

 

 2017年、「Untitle」。初日参戦。無人島に一つ映像作品をもっていけるならこれ持ってく。(何の話)。

 

 2018年、5×20 初めて暑い!っていいながら半袖で参戦して20年の重みを噛みしめて。

 

 大量に書ききれない部分も含めて嵐さんを栄養に生きる毎日の中、嵐さんに依存してばかりもいられないな...と思い始めたりもして。いつ何があるかわからない世の中だから。突然予期せず失う時もあるかもしれない。そんな時一人で立っていられないのは私の中では何か違うかなって。

 少しずつでも強くなろうと、そう考えた約1年後。嵐さんの休止発表がありました。どうしても永遠はない意識があったのに、やっぱり喪失感がありました。でも、どこかで少し安心もしたのです。走り続けていた方々が休めることに。

 

 そこからは。

 

 嵐さんをさらに感じてきました。自分の普段の生活に反省はありますが、アラシゴトに関しては今できることはしたかなって。

 

 ありがたいことに。本当に非常にありがたいことに。

2回目の5×20(オリジナルアルバムを出す不明だったこと、収容人数のことから、生で見れるのはこの先しばらくないかも...という覚悟で密かに参戦したライブでした。結果的に本当にそうなった)、

オーラスのライビュ、嵐を旅する展覧会...。当ててくれたものも含めて、多くのイベントに参加させていただきました。

加えてネットフリックス、TV、雑誌、SNS、etc...

遠征、の夢は先延ばしになったけど。国立の景色も見られました。憧れの景色は眩くて、誇らしかった。

 

 

 そして、昨日This is 嵐Liveも見届けることができました。

 

 

 凄かった。よく語る癖して具現化が下手すぎるんだけど、とにかく凄かった。

 全部、全部。

 救ってくれました。届けてくれました。今までにない景色を見せてくれました。

 綺麗で。儚くて苦しくて美しくて。

 嵐がいる。

 その事実が愛しくてたまらなくて。

 過ぎてゆく時間の速さに驚いて。でも、確かにそこにいたんです。

 この歴史を後世に語れる、堂々と語れる。いや語る。*COOL&SOULより一部引用

 

 この日を。宝箱の中に丁寧にしまって。蓋を閉めました。鍵はかけてません。私のことだから落ち着いたらまた取り出すと思うから。2年という時間の中でもともと沢山あった宝物がさらに増えました。大事に、日々眺めようと思います。

 

 過去それなりに色々あり(何もない人なんていないけどね)、自分で刻んだ腕の傷も、言葉のトラウマも完全には消えず、未だに同じことを思われていないか怯えいてたりします。

 それでも25歳になった私がこんなにも「幸せ」「大好き」「愛してる」明るいの極みみたいな(笑)言葉を毎日のように言っているのは紛れもなく嵐さんのおかげです。少し自分を好きになれたのも、想像もしていなかった楽しいに囲まれた今があるのも。落ち込むことが減ったのも。全部全部根本に嵐さんの力があります。

(余談ですが、私にも反省すべき点や、人を傷つけたこともあります。その時私を否定していた方々を恨んだりは一切していません。ただどこかで同じ言葉を人に投げかげず、幸せで素敵な大人になっていてほしいなとは思います。偉そうだねぇ)

 

 私にできることは感謝や愛を叫ぶことくらいで、とかいうわりにファンレターはまだ勇気も語彙力も努力も足りなくて結局送られてないけど。

  

 

 いつか嵐さんが戻ってきた時に、何も成長しない私ではいたくないから。私なりに前を向いて、何かを頑張って、強く優しい人になりたいと思います。あとどうしても若さは失うので(笑)少しでもいい歳の重ね方ができるよう可愛くなりたいな。油断するとライブ前くらいしか身なりを盛ろうとしないからね...

 

 

 2年前漠然とこの時に嵐さんにかける言葉は、この日までとっておこうと考えていた言葉はキャラメル・ソングの「いつか君が笑えるなら僕は心から手を振るよ」で、きっと私が感じていることは(優しさはいつだって寂しさを連れてる 数えきれない思い出に今は目を閉じていさせて)だと思っていました。

 でも今年の嵐さんを見ていて、特にここ数か月の間の嵐さんを見ていて感じ方が変わりました。「僕はなおあなたに逢いたい また・・・ いつか笑って再会 そう絶対」(戻れるはずもない日が愛おしいよ でも明日も僕達を待っている 何処へだってまだ行ける)

 もし、を思っちゃうこともあるけど、「またね」って言うならいつまでも待ってます。

 

 嵐さん。相葉雅紀さん、松本潤さん、二宮和也さん、櫻井翔さん、大野智さん。

 ゆっくり休んでほしいです。笑っていてほしいです。人間だもの、悩むことも落ち込むこともあっても、どうか幸せでいてほしいのです。ただのどこにでもいるオタクの5人への願いごと。

 

昨日も今日も。泣いていました。でもそれでいいんじゃないかと思う。泣いたからって弱くなるわけではない。綺麗なだけではいられないから。明日も君が君でいられるための涙に祝福を!............最終電車に乗って憂鬱の駅を駆け抜けてこう 君の街まであと少し 僕らは泣いて笑ってそれでも明日を夢見てしまう ありがとう 素晴らしき世界!!!!!(突然の熱唱)

 

でもそんな中でも柿を切ってる櫻井さん(鉄腕DASH)に笑えるくらいには強くなれたかな。

(散々語った締めがこれである)(ここまで読む方そういないだろうから大丈夫か)

 

21年お疲れさまでした。そしてありがとうございました。

今までも、今も、これからも。嵐さんと生きていく。

 

大好きです。